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ハッスル

私が腹を立ててるのは、今週号の週刊プロレスの記事です。宮尾(敢えて呼び捨てにします)なる記者が和泉元彌vs.鈴木健想の試合をレポートしているのですが、どこからどう読んでも悪意に満ちているとしか思えません。ちょっと皆さんもご購入いただくか、立ち読みするかして全文を目を通してみてください。 そのレポートの最後を引用しますと「.....ただ、翌日のワイドショーでさっそく話題になるのはいいとして、どれもプロレスとして取り上げていたから困る。世間が見て、これがプロレスだと思われたらたまったもんじゃない。」と、あります。「たまったもんじゃない」という書き方にレベルの低さが滲み出ているのですが、ようは、この試合はプロレスじゃない、という事が言いたいようなのですが、だったら週刊プロレスに載せなきゃいいじゃん、という話です。

また、こうした書き方をするのであれば、少なくとも文中にこの人なりのプロレスの定義を書くべきです。それもないままに「これがプロレスだと思われたらたまったもんじゃない」と、切って捨てるのは暴論です。そもそも「ハッスルはプロレスでは無い」というスタンスで書くのは構わないのですが、それが週刊プロレスとしての総意なのか、それとも記者個人のものなのかをはっきりさせてほしいです。記名原稿だからこれは記者個人の意見です、というならば、もし万が一、何か問題があって訴えを起こされた場合は、その記名原稿を書いた個人がその責を負えるんですかね?記名原稿云々の件は本題から逸れてしまうので、ここまでにしておきますが。

ケイ・ササハラブログ2005.11.10より

どこかの老舗団体は構造改革が必要だと、ひとごとながらよく思う。 彼らのやり方にははっきりしない点がいくつかある。 マーケットをどこに絞っているのか。新しい顧客の開拓はできているのか。 新日本やノアはこのままだと日本の伝統芸能になってしまう。 現在ついているコアなファンたちと一緒に年齢を重ねていくつもりなのかなあ、と思う。 10代、20代の人たちの心を掴んでいるのなら別だが、その層に対して全くのノーケア、ノーマーク だったので逆に我々にとってはいい参入のタイミングだと思った。

WHAT A TAP OUT!よりDSE榊原社長の話

私が思うに元彌vs健想、インリン様vsHGは面白い「プロレスの試合」だった。最近の新日やNOAHでこれを超える試合があったか?と考えると、「小橋vs健介」とか数えるほどしか思いつかない。週プロは「これはプロレスではない」と思うなら載せなければいいし、「プロレスだ」と思うなら面白かったのか面白くなかったのかだけを書けばいいのだ。ただ、「プロレスは鍛え上げた肉体を持つ人々が作り出す、常人には真似できない崇高なエンターテイメントであってほしい」というような妙な感情は理解できなくもない。

すでに新日本もノアも日本の伝統芸能になっていると思われるが、私は田上のGHC戴冠が見たいし、週プロの表紙が田上で嬉しかったりする。プロレスがショーだと理解していても「三沢さんが本気だしたらヒョードルなんてイチコロだよ!」とか言ってるのが楽しい。ハッスルにはとても期待していて、学校に行ったらクラスのみんなが「いやー昨日のハッスル見た?小川に勝つなんてインリン様すごいね!」みたいな世の中になったらすごいなーとか思うけど、いつまでも変わらないNOAHも見たい。

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